今回ご紹介するのは東野圭吾の『 超・殺人事件 』(角川文庫)。帯の「ベストセラー作家の苦悩。」は謳い文句通りだった。本を読み進めながらこれはひどい! と何度言ったかしれない。一体どこまでがフィクションなのか、脚色はあれど現実にもあるのだろうか。ついいろいろと想像してしまう。
いずれもサクサクと読み進められる短編だが、傾向を手っ取り早く知りたい方は「魔風館殺人事件」を読んでみると分かりやすい。「名探偵の掟」や「○笑小説」シリーズの路線だなと私は感じた。
旅費を必要経費で落とすため、連載小説の事件の舞台は強引に北海道からハワイへ――。突如人気が出てしまったばかりに、税金対策に苦悩する作家の話。ラストの展開には納得せざるをえない。(超税金対策殺人事件)
「超理系殺人事件」のタイトルに惹かれ手に取った小説。理系人間を自覚する主人公は専門用語飛び交う難解な小説をなんとか読み進めていくが……。私は早々に理解をあきらめたため、主人公のような結末を迎える心配はなさそうだ。(超理系殺人事件)
突如人気作家に呼び出された出版社の異なる四人の編集者。作家から指示されたのは雑誌に掲載予定の犯人あて小説の問題篇を読み、犯人を当てること。見事犯人を最初に当てた者には長編新作を進呈すると作家は言うのだが……。こんな作家本当にいそうだ、と感じる。(超犯人当て小説殺人事件)
書店が登場する話では、超長編小説殺人事件が印象的だった。原稿枚数でインパクトを生み、売れない作家の棚を確保しようと画策する編集者と、そのために原稿枚数のかさましを要求される作家の話である。本を売ろうとする努力は分かる。まず本を手にとってもらおうとする気持ちも分かる。戦略だとも理解できるが、それでも最後疑問が残る。作家の新作が売場に並べられている様子を想像してみるのだが、どうにも上手くいかない。表紙だと思っていた部分が本の背だったとはどういう状況なのか? その厚みが想像できない。確かに目をひくとは思うが、その本をどうやって読み、持って帰るのか……? 最後の編集の台詞は、「いや、勝負するところはそこじゃない」の一言に尽きる。小説ってなんだ、本ってなんだと考えずにはいられない。
超読書機殺人事件には高性能読書マシンという便利な機械が登場する。主人公は評論家なのだが、義理で頼まれた原稿が締切間近にも関わらず、作品に全く褒められるところがなく困り果てていた。そこへ営業マンの黄泉が現れる。この高性能読書マシン、本をセットするだけで本のあらすじを勝手にまとめてくれ、更に書評まで書いてくれるという優れものなのだ。しかも書評の段階はおべんちゃらモードから酷評までの5段階まで切り替え可能。SF要素も含んだ、ありそうな世界が展開されていく。
この話、主人公が分厚く枚数の多い小説に苦労している様子も描かれているのだが、「超長編小説殺人事件」と微妙にリンクする。果たして一体誰の、何のための小説なのか・・・
「読書って一体何だろう。」最後の一文に考えさせられた。これは恐らく作者からの問いかけだ。少し立ち止まって考えてみるのもいいのかもしれない。